伝記
聖ゲオルギオスは、古代ローマ末期の殉教者で、正教会、非カルケドン派、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会で聖人とされる。竜退治の伝説でも知られる。名はギリシア語に由来し、「大地で働く人」、つまり農夫を意味する。ゲオルギウス、ジョージ、ジョルジュ、ゲオルクなど各地の言語で呼ばれる。ただし、その生涯ははっきりしない。実在の人物ではあるが、出自は混乱していて不確かであり、どこまでが事実で、どこからが伝説かは断言できないとされる。教皇ゲラシウス1世の時代の教令は、その行伝を偽典として読むことを禁じ、彼を「その名は人々に正しく崇められるが、行いは神のみが知る」人々の一人に数えた。カトリック百科事典は、歴史上の実在を疑う根拠はないとするが、奇跡的な物語には確信を置いていない。
伝えられるところでは、3世紀後半にパレスチナのリュッダ(現在のイスラエルのロド)で、ギリシア系の貴族でキリスト教徒の家に生まれた。父はローマ軍人で、彼も小アジアのニコメディアで軍人になったという。生地はカッパドキアとする伝説が一般的で、その場合は幼い頃に父ゲロンティオスが戦死し、母ポリクロミアの郷里リュッダへ移ったとされる。母は財産に恵まれ、彼にキリスト教の信仰を丁寧に教えた。成長して軍人となり、有能さから昇進して、皇帝からカッパドキア属州の伯の称号を与えられ、20代で皇帝の宮廷があるニコメディアに住んだとされる。母の没後は、莫大な遺産をすべて貧しい人々に施し、宮廷を驚かせたという。
ディオクレティアヌス帝は、ローマ軍のキリスト教徒をすべて逮捕し、ローマの神々に犠牲を捧げさせる政令を出した(302年、303年とも)。ゲオルギオスは皇帝の前に出て、自らがキリスト教徒であることを宣言した。皇帝は土地や金、奴隷を与えて思いとどまらせようとしたが、彼は信仰を守り、様々な拷問を受けたが棄教しなかった。その苦難に同情する人々が増え、皇帝の妃も改宗したと伝えられる。最後は斬首され、殉教したという。没日は4月23日、没年は303年とする伝承がある。遺体はリュッダに葬られ、後にコンスタンティヌス帝が墓の上に聖堂を建てさせたとされる。
竜退治の伝説は、11世紀から12世紀のジョージアで成立したといわれ、『黄金伝説』にも載る。カッパドキアのセルビオス王の都ラシアの近くに、毒気を振りまく巨大な悪竜がいた。人々は毎日2匹の羊を捧げて災厄を避けたが、やがて羊が尽き、くじで選ばれた王の娘が生贄となった。そこへ通りかかったゲオルギオスが、口に槍を突き刺して竜を倒し、姫の帯を首に付けて村へ連れてきた。そして「キリスト教徒になると約束しなさい」と語り、村はキリスト教を受け入れたという。
イングランド、ジョージア、モスクワの守護聖人で、西方では十四救難聖人の一人である。兵士や農民、旅行者の守護聖人でもある。祝日は4月23日で、ブルガリアなどでは5月6日にあたる。赤い十字の旗と竜が象徴とされ、白馬にまたがる姿で描かれることが多い。姿を描いた最古の絵は10世紀の東方のものとされ、後にはラファエロなどルネサンスの画家も題材にした。白地に赤い十字の「聖ゲオルギウス十字」はイングランドの国旗に採られ、イギリスの国旗の一部として今も目にする。ジョージアやロシアの国章、モスクワの市章にも、その姿が用いられている。ブルガリアでは5月6日が家畜の放牧を始める日で、各家でヨーグルトを作り始める祝日にもなっている。メロヴィング朝の系図は、彼の子を祖とするほどだった。
同じ年に亡くなった人物
- 聖エクスペディト (303年)
- 聖ヴィットーレ (303年)
- ルカニアのヴィトゥス (303年没)
- カエサレアのロマヌス (303年)
- Procopius of Scythopolis (303年)
同じ地域に関係する人物
- ヌメリアヌス (284年没)
- 聖ヘレナ (330年没)
- プルシアス2世 (紀元前148)
- Nicomedes III of Bithynia (紀元前160)
- コンスタンティヌス1世 (337年没)