伝記
ウィティミリス(ウィティミール、ウィティメルとも)は、現在のウクライナ南部にあたる地域を治めたグロイトゥンギ族の王である。生没年は不明で、376年に戦死したとされる。その事績を伝える唯一の史料は、アンミアヌス・マルケリヌスの記述だとされる。
アンミアヌスによれば、ウィティミリスはエルマナリクの跡を継いだ。エルマナリクの死後、フン人と同盟を結んでいたアラン人に抵抗しようとし、傭兵として雇った別のフン人の力を借りて、しばらくのあいだ持ちこたえた。しかし多くの敗北を重ねた末に、戦いのなかで命を落としたという。こうしたことから、彼の治世は376年、あるいは375年にもまたがるとみられている。ヘルヴィヒ・ヴォルフラムは、ウィティミリスがエルマナリクの子であったことは「まずありえない」と述べている。
ウィティミリスの息子ウィデリクスは当時まだ幼く、王位を継いでも統治はできなかった。実際の指導は、配下の指揮官だったアラテウスとサフラクスの手に委ねられた。ミヒャエル・クリコフスキもこの二人を、彼の下にいた司令官と位置づけている。
エルマナリクの死後の出来事は、ヨルダネスの『ゲティカ』にも並行する物語として語られている。ただしヨルダネスはウィティミリスの名を知らず、エルマナリクの後を継いだのはウィニタリウスという親族だったと述べる。ウィニタリウスの治世は1年に満たず、やがてフン人との戦いに臨んだ。フン人の王バランベルは長い戦いを続け、3度目の戦いでようやく彼を討ち取ったという。もっとも、この時期にバランベルをはじめフン人の王が実在したかどうかについては疑問が出されている。
ヨルダネスの語るウィニタリウスは、アンテス人とその王と戦って勝ち、王ボズと8人の息子、70人の貴族を磔にしたという。のちにバランベルがアラン人らと結んで彼を破り、エラク川のほとりでの戦いで彼は死んだとされる。バランベルはその娘ワダメルカを妻にしたと伝えられる。生き残った東ゴート人は西へ逃れ、アラテウスとサフラクスが王の称号を持たない軍事指導者として彼らを率いた。現代の著述家のなかには、ウィティミリスをこのウィニタリウスと同一視する者もいる。二つの名をつなげると「ウィティミリス・ウィニタリウス」となり、「ヴェンド人と戦う者」を意味するという説明がある。
同じ年に亡くなった人物
- エルマナリク (376年没)
- アラヴィヴス (376年没)
- 大テオドシウス (376年没)
- Photinus of Sirmium (376年没)
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