伝記
アブドゥッラー・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サウードは、1924年にリヤドで生まれた第6代サウジアラビア国王である。生年月日は4月1日とも8月1日とも記され、実際にはおよそ8歳年上だったとする資料もある。初代国王イブン・サウードの37人の息子の一人で、第5代国王ファハドの異母弟にあたる。日本では「アブドラ国王」と表記されることが多い。母ファハダは、サウード家の長年のライバルであるラシード家の出身で、有力なシャンマル部族の族長の娘だった。以前にジャバル・シャンマル王国の当主サウードと結婚していたことがある。母は彼が6歳のときに亡くなり、母方の出自と幼いころの話し方の障害が、地位の上昇を遅らせたとする見方もある。サウード家のために設けられた学校で、宗教上の権威者や知識人から教育を受けた。
1963年8月に国家警備隊の司令官に就任し、この職を通じて王家内での地位を固めた。国家警備隊は、彼の下で近代的な軍隊に生まれ変わった。1975年に第3代国王ファイサルが暗殺されてハーリドが即位すると、国家警備隊司令官と兼任で第二副首相に任命されたが、この人事は王家内に摩擦を生んだ。ファハドらスダイリ兄弟は自分たちの兄スルターンを推し、アブドゥッラーは国家警備隊の権限を手放すよう迫られたが、権威が弱まるのを恐れて応じなかった。1982年6月にハーリドが崩御し、ファハドが即位すると、王太子兼副首相に昇格し、国家警備隊司令官にも留任した。不満を抱いていた周縁の王子たちを数多くまとめ、スダイリ兄弟が次々に王位を継ぐ流れに抗して地位を築いた。1995年にファハドが脳卒中で倒れて以来、事実上の摂政として国政の実権を握った。
2005年8月1日にファハドが崩御し、国王に即位した。首相を兼ね、国家警備隊司令官の地位にも留まった。映画館の解禁や女性の登用などサウジアラビアの近代化に努めたとされる。2002年には、アラブ和平イニシアティブを提唱した。イスラエルに占領地のほとんどを返還させ、パレスチナ自治政府を承認することを求める代わりに、アラブとイスラエルの衝突を終わらせて和平条約を結び、国交を正常化するという前例のない譲歩を申し出た計画で、アラブ連盟の首脳会議が全会一致で可決したが、具体的な交渉で頓挫した。2011年のバーレーン騒乱では、湾岸協力会議の盟主として軍を送った。
2005年1月には、リヤドの医療センターで、2人のポーランド人の結合双生児の手術費用を負担した。14か月の双子は15時間の手術の末、無事に分離された。アメリカにもたびたび赴き、1976年にフォード大統領、1987年に副大統領のブッシュ、1998年にクリントン大統領と会った。2008年にキング・ファイサル国際賞のイスラーム奉仕部門を受け、2010年11月には椎間板ヘルニアを患っていることが明らかになり、37年以上務めた国家警備隊司令官の座を息子のムタイブ王子に譲った。2015年1月23日に崩御し、王位は王弟のサルマーン王太子が継いだ。5人の妻を持ち、7人の王子と15人の王女がいた。90歳に達し、2015年に亡くなった時点で最も長生きの国家元首だった。
同じ年に亡くなった人物
- フィル・テイラー (2015年没)
- カルロス・デ・ボルボン=ドス・シシリアス (2015年没)
- エベリン・ファーチ (2015年没)
- メリッサ・マシスン (2015年没)
- ファーティン・ハママ (2015年没)
同じ地域に関係する人物
- ファイサル (サウジアラビア王) (1975年没)
- ファハド・ビン=アブドゥルアズィーズ (2005年没)
- ムハンマド・イブン・サウード (1765年没)
- ムハルヒル (531年没)
- イディ・アミン (2003年没)