伝記
ベン・E・キング、本名ベンジャミン・アール・ネルソンは、1938年9月28日にノースカロライナ州ヘンダーソンで生まれたアメリカのシンガーソングライターである。幼い頃は教会の聖歌隊で歌い、1947年、9歳のときに一家でニューヨークのハーレムに移った。学校ではフォー・ビーズという名のドゥーワップのグループを結成し、時にはアポロ劇場で歌うこともあった。ムーングロウズへの加入は果たせなかったが、1956年に、ハーレムにあった父の軽食店で歌っているところを見出され、ファイブ・クラウンズというヴォーカル・グループに誘われた。
1958年、ドリフターズのマネージャーだったジョージ・トレッドウェルが、元のメンバーを解雇し、ファイブ・クラウンズのメンバーに入れ替えた。キングはその新しいドリフターズのリードシンガーとして加わった。アトランティック・レコードで、「ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー」(1959年)が、新体制の最初のヒットとなり、これは本人が共作して歌った曲でもある。ドク・ポーマスとモート・シューマンのコンビの曲を次々と歌い、「ダンス・ウィズ・ミー」や、全米1位となった「ラストダンスは私に」(1960年)などのヒットを放った。ただ、キングがドリフターズで録音した曲は13曲ほどにとどまる。契約をめぐって、キングと彼のマネージャーが、トレッドウェルに対してより高い報酬を求めて対立したため、巡業やテレビ出演にはほとんど加わらず、テレビでは別のメンバーが、キングの録音に合わせて口パクで歌うことが多かった。
1960年5月、ドリフターズを脱退してベン・E・キングという芸名を名乗り、ソロ歌手に転向した。同じ会社の系列レーベルで、最初のソロ・ヒットとなったバラード「スパニッシュ・ハーレム」(1961年)を出し、続くシングルが、ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーとの共作による「スタンド・バイ・ミー」である。この曲は1961年に大ヒットし、スタンダード・ナンバーとしてジョン・レノンをはじめ多くの歌手にカバーされた。キングは歌声の手本に、ブルック・ベントン、ロイ・ハミルトン、サム・クックの名を挙げている。のちに全米レコード協会の選ぶ「世紀の歌」の一つに選ばれ、1986年にはロブ・ライナー監督の同名の映画の主題歌に起用されて、およそ25年ぶりにトップ10に返り咲いた。ほかの代表曲には「ドント・プレイ・ザット・ソング」(1962年)や「アイ・フー・ハヴ・ナッシング」(1963年)がある。1965年ごろまでビルボードのホット100に曲を送り込み、英国のポップ・バンドが人気を集めるようになってからも、R&Bのヒットを出し続けた。1975年の「スーパーナチュラル・シング」は、全米5位、R&Bチャート1位を記録している。1980年代前半にはドリフターズに復帰し、1986年にグループが解散するまで歌った。
ベン・E・キング・スタンド・バイ・ミー財団を設立し、慈善活動も行っていた。ドリフターズの一員として1988年にロックの殿堂入りも果たしている。2015年4月30日、ニュージャージー州ハッケンサックの医療センターで死去した。76歳だった。代理人は「冠動脈に問題があった」と述べたが、詳しい死因には言及しなかった。
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