HISTORICAL PERSON · 2016年没

ヒラリー・パトナム

アメリカの哲学者。心の哲学や言語哲学、科学哲学の分野で中心人物だった。機能主義や、双子地球の思考実験に基づく意味論的外在主義を提唱し、自らの立場をたびたび変えた。

生涯
2016年没
死亡地
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州 / アーリントン)
出生地
アメリカ合衆国(シカゴ)
出典
世界地図
アメリカ合衆国(マサチューセッツ州)

伝記

ヒラリー・ホワイトホール・パトナムは、1926年7月31日にイリノイ州シカゴで生まれたアメリカ合衆国の哲学者である。1960年代以来、心の哲学、言語哲学、科学哲学といった分析哲学の中心人物であり、自分の立場を厳格に分析し、頻繁に変更したことで知られる。父サミュエルはアメリカ共産党の機関紙に寄稿するジャーナリストで翻訳家、母リーバはユダヤ人だったが、父が共産主義に傾いたため、パトナムは非宗教的に育てられた。一家は1934年までフランスで暮らし、その後アメリカに戻ってフィラデルフィアに住んだ。

ペンシルベニア大学で数学と哲学を学んで修士号を得、ハーバード大学の大学院で哲学の研究を続けたのち、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に移った。1951年に、有限数列の応用における確率概念の意味を論じた論文で博士号を取得した。指導にあたったハンス・ライヘンバッハやルドルフ・カルナップは、当時の支配的な学派だった論理実証主義の重鎮だった。パトナムの最も長く続いた立場の一つは、自己矛盾に陥った論理実証主義の拒絶だった。ノースウェスタン大学、プリンストン大学、マサチューセッツ工科大学で短期間教えた後、1965年にハーバード大学に移った。1962年に結婚したミュンヘン生まれのルース・アンナも、同じころに移っている。夫妻は幼少期の反ユダヤ主義の経験から反発を覚え、子どもたちのために伝統的なユダヤ人の家庭を築こうと決め、ユダヤ教の儀式やヘブライ語の勉強を始めた。1994年には、70歳近い身で成人の儀式を受けた。

心の哲学では、1960年代後半の論文で多重実現可能性の仮説を示し、「痛みはC繊維の発火に等しい」というタイプ同一説に反論した。痛みは、様々な生物の神経系の全く異なる物理的状態に対応しうるというのである。この考えに基づき、心的状態をコンピュータの状態になぞらえる機械状態機能主義の最初の定式化も行い、心は理想的なチューリングマシンのようなものだと考えた。言語哲学では、クリプキなどを踏襲して指示の因果説を発展させ、「双子地球」の思考実験に基づく意味論的外在主義を唱えた。認識論では、「水槽の中の脳」の思考実験で認識論的懐疑論を批判している。数理哲学では、指導者クワインと「不可欠性テーゼ」を展開した。形而上学では、当初は形而上学的実在論を擁護したが、のちには最も辛辣な批判者の一人になった。一時は「内在的実在論」を採ったが、これも捨て、プラグマティズムに触発された直接的実在論に与した。哲学以外にも、数学者のマーチン・デイヴィスとともに、ブール代数の充足可能性問題を解くアルゴリズムを開発し、ヒルベルトの第10問題が解決不能であることの証明に寄与した。

政治にも積極的で、1960年代から1970年代初めにかけて、公民権運動を擁護し、ベトナム派兵に反対した。1963年にはマサチューセッツ工科大学に、教員と学生が共同で運営する最初の反戦委員会を組織している。1968年には進歩労働党の党員になり、ハーバード大学の哲学部が1971年に譴責を試みたが、他の学部から批判された。1972年以降は党との絆を断ち、1997年には党への参加は誤りだったと述べた。1976年にアメリカ哲学会の会長に選ばれ、翌年に数理論理学の教授職に就いた。2000年6月に教職を退いて名誉教授となり、晩年はユダヤ教に関心をもち、数冊の書物を出した。2016年3月13日に亡くなった。

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