伝記
セレナは、皇帝テオドシウス1世の姪であり、軍司令官スティリコの妻となったテオドシウス家の女性である。408年に没したとされる。
父は皇帝テオドシウス1世の弟ホノリウスで、母の名はマリアと推定されている。テオドシウス大の孫にあたり、姉にテルマンティアがいた。父は379年より前に死去し、その後、叔父のテオドシウスの養女となった。379年に叔父が皇帝となると、彼に従って東方に移り、コンスタンティノポリスの宮廷で暮らして、良縁の候補となったとされる。
384年ごろ、スティリコと結婚した。詩人クラウディアヌスは、この縁組みをスティリコの軍事的な力量を見込んだテオドシウスが取り決めたものと述べている。しかし、当時のスティリコは目立った存在ではなかったため、セレナ自身が夫を選んだとみる現代の研究者もいる。夫婦には息子エウケリウスと、娘マリアとテルマンティアが生まれ、二人の娘は相次いで皇帝ホノリウスの最初と二番目の妻になった。マリアは399年にホノリウスと結婚して407年に没し、結婚が完成しないまま世を去ったとされ、その背後にセレナの働きかけがあったともいわれる。
テオドシウスの死後、ホノリウスの宮廷に身を置いたセレナは、詩人クラウディアヌスのために花嫁を選び、ホノリウスの異母妹ガッラ・プラキディアの世話をした。スティリコの摂政としての権力は強い批判にさらされ、元老院を頼りにしていたため、彼女はしばしばローマに滞在して夫を弁護したとされる。クラウディアヌスの詩は夫妻を元老院議員たちにたたえ、彼女は賛辞を捧げられたまれな女性の一人だった。聖女メラニアを温かく迎えたともいわれる。ゾシモスは、394年にテオドシウス1世がローマを訪れた際の逸話を伝えている。キリスト教徒だったセレナが、レア・シルウィアの像から首飾りを取って自分の首にかけた。すると、最後のウェスタの処女である老女が現れて、不敬をとがめ、罰が下るよう呪った。その後、セレナは自らの早すぎる死を予告する恐ろしい夢に悩まされたという。ただしアラン・キャメロンとジョン・マシューズは、この話全体に懐疑的で、テオドシウスのローマ訪問自体が疑わしいと考えている。
408年、ホノリウスはスティリコとエウケリウスを処刑させた。スティリコはラヴェンナで処刑され、オリュンピウスのクーデターがあった。翌年、セレナは、ローマを包囲した西ゴート人と通じたと誤って訴えられ、ガッラ・プラキディアの同意のもとに処刑された。絞殺されたとも、元老院の命によるともいわれる。
同じ年に亡くなった人物
- Olympias the Deaconess (408年)
- アルカディウス (408年没)
- スティリコ (408年没)
同じ地域に関係する人物
- アミントレ・ファンファーニ (1999年没)
- アゴスティーノ・タッシ (1644年没)
- Nilde Iotti (1999年没)
- フラ・アンジェリコ (1455年没)
- アンジェロ・マイ (1854年没)