伝記
エウナピオスは、ローマ帝国期のギリシア語の弁論家、歴史家で、異教を奉じた人物である。345年ごろ(349年ごろとも)に生まれ、414年ごろに没したとされる。新プラトン主義や密儀宗教、第二次ソフィストの史料となる『哲学者およびソフィスト列伝』と、断片のみ伝わる題名不詳の歴史書を著した。その生涯は、ほぼ彼自身の著作からしか知ることができず、外部の証言によって補うことが難しい。彼自身も、いくつかの伝記について同じ問題に直面していたことを認めている。
小アジアのリュディアのサルディスに生まれた。同地で、親戚でイアンブリコス派の新プラトン主義者であるクリュサンティオスに師事して育ち、若くして古典を諳んじられるようになった。のちにアテナイに行き、アルメニア系のキリスト教徒のソフィスト、プロハイレシオスのもとで弁論術を学んだ。滞在は5年ほどとされ、この間にエレウシスの秘儀に与り、同時代のソフィストと同様に医学も学んだ。エウモルピダイ家の人々の間にも迎え入れられたという。生年の推定は、皇帝ユリアヌスのもとでプロハイレシオスが教職から外された時期とエウナピオスの師事の関係にもとづいており、その前後関係はユリアヌスの時代の知的な異教復興の中に彼を位置づけるうえで重要である。
アテナイからエジプトに旅行しようとしたところ、両親に就職を求められて帰郷した。以後はサルディスで弁論術の教師として働きつつ、再びクリュサンティオスに師事し、イアンブリコスの哲学の手ほどきを受けた。医術にも携わり、「密儀的」な沈黙を守る修行も行ったとされる。著述を始めたのはそれ以降と推定される。同時代の皇帝ユリアヌスの熱心な支持者であり、キリスト教徒に対する激しい反対者でもあった。
395年から396年ごろに著した『哲学者およびソフィスト列伝』は、3世紀のピロストラトスの『ソフィスト列伝』などを引き継ぎ、主に3、4世紀の東方の哲学者とソフィストの評伝を述べる。プロティノス、ポルピュリオス、イアンブリコス、リバニオス、オレイバシオスらが取り上げられ、とくにマクシモス伝は背教者ユリアヌスの伝の要素も持つ。全体で25を超える伝記が収められ、哲学者9人、ソフィスト10人、医師5人を扱うという。取り上げられたのはみな東方の上流階層の人々で、多くは知的な都市の教師であり、全員が著作を残していた。ただ、哲学や史実の叙述よりも奇跡や超自然的な逸話に重きが置かれ、神的なイアンブリコスやエフェソスのマクシモスのような人物が描かれている。それでも、年代の不正確さにかかわらず、古代の社会を知る重要な史料である。
題名不詳の歴史書は、『列伝』の中で言及されており、オレイバシオスの勧めで書かれた。デクシッポスの『年代記』が270年(クラウディウス2世の治世)で終わっていたのを引き継ぎ、404年(アルカディウスの治世)まで、あるいは407年までの歴史を扱う14巻の書である。アンミアヌスら多くの歴史家に利用され、コンスタンティノス7世の抜粋集に断片が収められている。論調は異教主義的でユリアヌスを讃美するものだったと推定され、9世紀のフォティオスによれば、キリスト教への攻撃的な記述を除去した新版も存在した。没年は不明だが、歴史書の中でプルケリアの治世(414年から416年)に言及しているため、414年ごろまで生きたと考えられている。
同じ年に亡くなった人物
- 僧肇 (414年没)
- Nicetas of Remesiana (414年)
- ヴラムシャプー (414年)
- 腆支王 (414年没)
同じ地域に関係する人物
- ティリバゾス (紀元前400)
- Hegesias of Magnesia (紀元前200)
- クレオパトラ (紀元前307)
- サデュアッテス (紀元前610年代没)
- アルタプレネス (紀元前492)