伝記
ヴァラーハミヒラ(彘日)は、古代インドの天文学者・占星術師である。505年に生まれ587年に没したとされ、ウッジャイニー(ウッジャイン)の出身で、アバンティ国の宮廷占星術師を務めた。「ヴァラーハ」はサンスクリット語でイノシシを、「ミヒラ」は太陽神ミフルに由来するといわれ、著作には太陽神を賛美する文言が多い。マディヤ・プラデーシュ州にあたる古代アバンティ地方のウッジャインに住み、天文学の数理(ガニタ)、自然科学(サンヒター)、ホロスコープ占星術(ホーラー)というジョーティシャの三分野に通じていた。
生没年は確定していない。本人は年代を記しておらず、現代の研究者は6世紀の人とみる。主著『パンチャ・シッダーンティカー』には、シャカ暦427年のチャイトラ月の白分第1日が記されており、これを西暦505年3月20〜21日に当てはめて、その年を生年とみる説がある。アル・ビールーニーも505年に位置づけている。一方、575年がこの書の執筆または構想の年だったとする伝承もある。また、ブラフマグプタの『カンダカディヤカ』の注釈者アマラージャは、没年を587年(シャカ暦509年)とした。575年に25歳で書いたとすれば105歳を超えてしまうため、研究者の一部は生涯を505〜587年とみる。ただしアマラージャは千年ほど後の人であり、その記述を疑う研究者もいる。ヴィクラマーディティヤ王の宮廷の「九宝」の一人だったという伝承は、年代が12〜18世紀とされる偽作に基づくもので、史実とは認められていない。
確かな経歴の多くは、著書『ブリハッジャータカ』の一節に拠る。それによれば、彼はアバンティの住人で、アーディティヤダーサの子であり、カピッタカで学び、太陽神の恩恵を受けたという。父から占星術と天文学を教わったと考えられている。注釈者ウトパラは彼を「マガダ・ドヴィジャ」と呼ぶ。これを、マガダ地方に祖先をもつバラモンの意味とする解釈と、太陽を崇めるマガ派に属する意味とする解釈がある。『ブリハット・サンヒター』は、太陽神像の奉献にふさわしいのはマガだけだと述べている。名前をイランの「ヴァラザ・ミフル」のサンスクリット化とみる説もあり、これに対しては、ヴェーダ語の「ミトラ」から音が変化したとみる反論もある。ファリシュタの記すササン朝王の大臣バズルジュミフルと同一視する説もあるが、否定的な見方もある。ジャイナ教の著者たちは、彼をジャイナ教の祖師バドラバーフの弟とする伝えを残すが、これも史実ではないとされる。
著作には、占星術と天文学を扱う『パンチャ・シッダーンティカー』と、占星術の『ブリハット・サンヒター』がある。これらは西洋占星術の解説書であるとともに、インド伝来の多くの占いも解説しており、出生占星術の教科書的な存在だった。ギリシア語の用語を多く使いながら、インド的な世界観に基づいて改訂を加えている。
『パンチャ・シッダーンティカー』は、失われたインドの著作『スーリヤ・シッダーンタ』『パウリシャ・シッダーンタ』など五つのシッダーンタを記述しており、古代インドの天文学体系を伝える主要な記録である。そこには数学的に価値のある内容も含まれ、正弦と余弦の関係や半角に関する式など、三角法の知識が見られる。初期の三角法がインド天文学に必要だったためである。正弦表の計算法や組合せ論の著作も、その数学的な業績に数えられる。父アーディティヤダーサと息子プリトゥヤシャスも占星術に携わった。
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