伝記
ハディージャ・ビント・フワイリドは、イスラームの預言者ムハンマドの最初の妻であり、メッカの裕福な商人であった女性である。生年は555年頃とも567年ともされて定まらず、没年は619年とされる。クライシュ族アサド家に属するフワイリド・イブン・アサドの娘で、母はファーティマ・ビント・ザーイダといい、ムハンマドの遠縁にあたるとされる。ハディージャの父とムハンマドの祖父は、はとこの関係にあったという。「クライシュの姫」「清らかな女」「大ハディージャ」など、多くの称号で呼ばれ、イスラームでは「イスラームの母」と呼ばれて敬われる。
父は交易で財を成した商人で、ハディージャはその才覚と財産を受け継ぎ、家の事業をうまく運営した。シリアへ向かう夏の隊商や、イエメンへ向かう冬の隊商で、彼女の隊商はクライシュ族の他の商人の隊商を合わせたものに並んだと語られる。自らは隊商を率いず、代理人を慎重に選んで商品を任せ、時と場所を見てうまく売買して大きな利益を上げた。貧しい人々に衣食を与え、親族を金銭で助け、資力のない親族が結婚できるよう援助したとされる。また、当時のアラブの人々には珍しく、偶像を信じたり拝んだりしなかったという。
その名声のために多くの男性が結婚を申し込んだ。ムハンマドと結ばれる前、彼女は二度結婚して二人の夫に先立たれた寡婦であった。最初の夫はアブー・ハーラ、二番目の夫はアティークで、それぞれとの間に子があったとされる。二番目の夫の死後は交易を営み、交易代理人として働いていた親戚のムハンマドの誠実さに惹かれ、595年、40歳の頃に、25歳前後のムハンマドと結婚した。ただし彼女の年齢には26歳か27歳とする説もあり、正確な生年が分からないため、40歳は推計にすぎない。使用人のマイサラが、シリアからの帰りにムハンマドが木陰で休んだとき、通りかかった修道士が、ここに座った人はいずれ預言者になると言ったと伝えたことも、彼女がムハンマドに関心を寄せたきっかけとされる。この結婚でムハンマドは経済的な自由を得て、瞑想にふけれるようになった。
二人のあいだには2男4女が生まれたが、長男カースィムと次男アブドゥッラーは成人前に死去し、娘たちも長生きしなかった。次女ルカイヤは第3代カリフのウスマーンに嫁ぎ、末娘ファーティマは第4代カリフのアリーに嫁いだ。ムハンマドの血は、ファーティマの子孫を通じて後世に伝わった。ムハンマドは彼女の存命中、他に妻を持たなかった。
610年、ヒラー山で天使ジブリールに啓示を告げられたムハンマドが、困惑して帰宅すると、彼女は励まし、いとこでキリスト教の修道者だったワラカ・イブン・ナウファルに相談した。ワラカは、ムハンマドがモーセやイエスと同じ預言者であると認め、これによりムハンマドは自らが預言者であるとの自覚を深めた。ハディージャは最初の信者となり、その財産で布教を助け、啓示を受ける前も後も保護者の役割を果たし続けた。619年頃に彼女が世を去り、ほぼ同時期に叔父のアブー・ターリブも没した。二人の死をきっかけに、メッカでのクライシュ族の迫害は強まり、ヒジュラの一因となった。この年は「悲しみの年」として知られる。
同じ年に亡くなった人物
- 恭帝侑 (619年没)
- アブー=ターリブ (619年没)
- John the Merciful (619年(推定))
- 始畢可汗 (619年没)
- ヨハネス・モスコス (619年)
同じ地域に関係する人物
- Abd-Allah ibn Umm-Maktum (636年没)
- Mughira ibn Shu'ba (671年没)
- アスマー・ビント・アビー・バクル (692年没)
- マシャイル・ビント・ファハド・アル・サウード (1977年没)
- アブドゥッラー・ブン・アッバース (688年没)