伝記
イブン・ワーフィドは、アンダルスのトレドで活動した医師、薬学者、植物学者である。トレドの名門ワーフィド家に生まれ、生年は998年から999年、あるいは1007年から1008年とされる。生涯の大部分をこの都市で過ごした。ディオスコリデスとガレノスの著作を深く学び、アリストテレスらの哲学にも通じていた。知識を広げるためコルドバへ旅し、アブル・カースィムの教えを受けた。その後はトレドに定住し、君主アル・マアムーンのもとで宰相などの政治的な役職にも就いたが、主な活動は医学と薬学の研究であった。中世のラテン語圏ではアベングエフィトとも呼ばれた。
アル・マアムーンの命令で植物園を設け、ガリアナ宮殿とタホ川の間の低地に多様な植物を植えた。この庭園は王の菜園と呼ばれ、植物の順化や人工的な受粉を試した。薬の調製では錬金術に由来する方法や技術も利用し、各種の草木から少なくとも520種の薬を取り出したとされる。治療にあたっては、できるだけ簡単で直接的な方法を選び、複数の材料を組み合わせた薬よりも単純な薬を好んだ。重い病気の治療でも多くの成果を上げたとされ、弟子にはイブン・ルーンクフがいた。
主著『単純薬の書』は、植物、鉱物、動物に由来する成分を他の物質と混ぜずに用いる際の治療作用を論じた書物である。トレドで執筆され、ディオスコリデスやガレノスの先行する議論を見直して拡張したもので、完成に二十年以上を費やしたともいわれる。後にラテン語、ヘブライ語、カタルーニャ語へ訳された。アラビア語の原本は失われたと考えられたが、アラビア語をヘブライ文字で記した写本や、ラテン語とカタルーニャ語の部分訳が残った。それらは近年、アラビア文字への転写やスペイン語への翻訳も行われている。
もう一つの著作『医学の枕の書』は、薬局方としての性格と治療の手引きという性格を併せ持つ。著者自身の経験を中心にした実用的な内容で、配合薬の説明を含み、『単純薬の書』を補うものとなった。「枕の書」という題名は、ミゲル・カシリが『医学案内』のアラビア語の語形を取り違えたことに由来するともいわれる。農学書『農業大全』も伝わり、後世のガブリエル・アロンソ・デ・エレーラの農書の手本となった。このほか眼の病気に関する論考や、ラテン語訳のみが残る浴療法の論考も著作とされている。医学上の経験をまとめた著作も挙げられる。1074年または1075年にトレドで没した。
同じ年に亡くなった人物
- Theodosius of Kyiv (1074年没)
- ペタル・クレシミル4世 (1074年没)
- ヘルマン1世・フォン・バーデン (1074年没)
- アンリ・ド・ブルゴーニュ (1074年没)
- アナスタシヤ・ヤロスラヴナ (1074年)
同じ地域に関係する人物
- クレモナのジェラルド (1187年没)
- Gregorio Maria Aguirre y Garcia (1913年没)
- サンチョ4世 (カスティーリャ王) (1295年没)
- イサベル・デ・ポルトゥガル・イ・アラゴン (1539年没)
- エル・グレコ (1614年没)