伝記
ジョヴァンナ1世は、1327年(1325年末や1328年初めともいわれる)に生まれ、1382年に没した、ナポリ女王である。在位は1343年から1382年に及び、エルサレム女王、シチリア女王、アカイア公、プロヴァンス伯、フォルカルキエ伯の称号も持った。ナポリ王ロベルトの長男カラブリア公カルロと、フランス王フィリップ6世の異母妹マリーア・ディ・ヴァロワの娘である。
父カルロは1328年11月9日に思いがけず世を去り、父の死後に生まれた子もまた女児のマリアであった。ナポリの法は女性の相続を妨げなかったが、女王が君臨するのは異例であり、教皇庁との取り決めでは女王は結婚して夫に統治させることが定められていた。ロベルトは孫たちの継承を固めようと決意し、1330年12月4日にナポリのヌオーヴォ城での公の儀式で、ジョヴァンナとマリアを後継者に指名した。ロベルトはさらに、甥のハンガリー王カーロイ1世の次男アンドラーシュと、ジョヴァンナとの婚姻を取り決めた。
1343年に祖父ロベルトが死去し、ジョヴァンナはナポリ女王となった。ロベルトは死の床で、彼女を単独の後継者と定めていた。ロベルトは21歳になるまで摂政会議に統治させることを定めたが、摂政たちは実際には国政を握れなかった。最初の夫アンドラーシュは、ハンガリー王ラヨシュ1世の弟で又従兄にあたり、1345年に暗殺された。ジョヴァンナ自身が加担したともいわれる。二人のあいだの息子カルロ・マルテッロは、1345年に生まれて1348年に早世した。翌1346年、ジョヴァンナはターラント公ルイージと2度目の結婚をした。ところがラヨシュ1世は王位を狙い、弟の死の報復を名目にナポリへ遠征したため、ジョヴァンナは1347年にナポリを追われてフランスへ亡命した。1348年には、教皇クレメンス6世にアヴィニョンを売った。1352年に復帰を果たした。
ルイージとは1362年に死別し、2人の娘がいたがいずれも早世した。翌1363年にマヨルカ王ジャウメ4世と結婚したが、1375年に死別し、子はなかった。1376年にブラウンシュヴァイク=グルーベンハーゲン公オットーと4度目の結婚をしたが、やはり子は生まれなかった。教会大分裂が起こると、ジョヴァンナははじめ教皇ウルバヌス6世を支持していたが、のちに対立してアヴィニョンの教皇を支持した。ウルバヌス6世は1380年5月11日に彼女を異端者かつ簒奪者と宣告し、1381年にはナポリ王位から退位させて、カルロ・ディ・ドゥラッツォに王位を与える決定を下した。子のなかったジョヴァンナは、1382年にヴァロワ=アンジュー家のルイ1世・ダンジューを後継者に定めた。唯一生き残った妹マリアは、ジョヴァンナの許しを得ずに従兄と結婚しており、夫妻は反ジョヴァンナ派の中心となっていた。ジョヴァンナは、マリアの娘マルゲリータを又従弟のカルロ・ディ・ドゥラッツォと結婚させて和解を図ったが、同年、そのカルロに捕らえられて幽閉され、ラヨシュ1世の命を受けた彼の手で、ムーロ・ルカーノで暗殺された。没日は5月12日とも7月27日ともいわれる。カルロはカルロ3世として王位に就いた。
同じ年に亡くなった人物
- レオノール・デ・アラゴン (カスティーリャ王妃) (1382年没)
- ルドヴィーコ2世・ゴンザーガ (1382年没)
- ミケーレ・モロシーニ (1382年)
- マルグリット1世 (ブルゴーニュ女伯) (1382年没)
- ニコル・オレーム (1382年没)
同じ地域に関係する人物
- ティベリウス・センプロニウス・グラックス (紀元前215年、213年の執政官) (紀元前213年没)
- スパルタクス (紀元前71年没)
- Justin de Jacobis (1860年没)
- マルクス・クラウディウス・マルケッルス (紀元前208年没)
- Andrew Avellino (1608年没)