伝記
マルグリット・ド・バヴィエールは、1363年に生まれた、ブルゴーニュ公ジャン1世、すなわち無畏公の妃である。ドイツ語名はマルガレーテ・フォン・バイエルンという。下バイエルン=シュトラウビング公アルブレヒトの娘で、父はエノー伯、ホラント伯、ゼーラント伯、フリースラント卿でもあった。母はマルガレーテ・フォン・ブリークである。
1385年4月12日、カンブレーでジャンと結婚した。このとき、弟でエノー伯のギヨーム4世も、ジャンの妹マルグリットと同時に結婚したため、この婚礼はカンブレーの二重結婚と呼ばれる。夫婦には、1393年生まれのマルグリットから、1407年生まれのアニェスまで、1人の息子と7人の娘が生まれた。1396年生まれの息子が、のちのブルゴーニュ公フィリップ3世(善良公)である。1404年にジャンの父である豪胆公が、1405年にその母マルグリットが死ぬと、ジャンはブルゴーニュ、フランドル、アルトワなど、両親の広大な所領を受け継ぎ、マルグリットは公妃となった。1405年に出た、クリスティーヌ・ド・ピザンの『婦人の都』の第2部では、すぐれた女性として名が挙げられた。1406年には、娘マリーがクレーフェ公アドルフ1世と、娘イザベルがパンティエーヴル伯オリヴィエと結婚した。
夫が領内を離れている間、彼女は、1404年から1419年にかけてブルゴーニュ領の低地諸国で摂政を務めたとされる。1419年には夫を失い、息子が不在だった1419年から1423年には、フランス領ブルゴーニュの摂政を務めた。1419年、アルマニャック伯ジャン4世の侵攻からブルゴーニュ公国を守ったことで知られる。長女マルグリットは、ギュイエンヌ公ルイと結婚し、のちにリッシュモン伯アルテュールと再婚した。娘アンヌは1423年にベッドフォード公ジョンと、娘アニェスは1425年にブルボン公シャルル1世と結婚した。
マルグリットは1423年か1424年の1月23日に亡くなった。彼女と同時に結婚した弟ギヨームには一人娘ジャクリーヌがいたが、ギヨームが亡くなると、エノー伯などの所領はジャクリーヌが受け継いだ。のちの1433年に、マルグリットの息子フィリップ3世が、従姉妹のジャクリーヌを退位させて、その所領を手に入れた。
同じ年に亡くなった人物
- ベネディクトゥス13世 (対立教皇) (1423年没)
- コンラート・フォン・ゼスト (1423年(推定))
- トンマーゾ・モチェニーゴ (1423年没)
- ヨヴァン・ウロシュ・パレオロゴス (1423年没)
- アルブレヒト5世 (メクレンブルク公) (1423年没)
同じ地域に関係する人物
- アンリ1世 (ブルゴーニュ公) (1002年没)
- ジャン・マルエル (1415年没)
- ジャン・ラプランシュ (2012年没)
- ベアトリス・デ・ナバラ (ブルゴーニュ公妃) (1295年没)
- アニェス・ド・フランス (ブルゴーニュ公妃) (1327年没)