伝記
ムツィオ・アッテンドロ・スフォルツァは、1369年5月28日に生まれ、1424年1月4日に没した、イタリアの傭兵隊長である。のちにミラノ公国を治めるスフォルツァ家の始祖で、晩年はナポリ女王ジョヴァンナ2世に仕え、ナポリ王国の大元帥に任じられて、政情の不安定な時期に女王の軍勢を率いた。
ロマーニャ地方のコティニョーラの、裕福な田舎貴族の家に生まれた。父はジョヴァンニ・アッテンドロである。ムツィオは、父方の祖父の名でもあった愛称ジャコムッツォを縮めたものである。言い伝えによれば、若いジャコモが畑を耕していたとき、ボルドリーノ・ダ・パニカーレの率いる傭兵たちが、新兵を探して近くを通りかかった。彼は父の馬を1頭盗んで、兵たちについていき、同じ道を歩みはじめたという。のちに兄弟のボジオ、フランチェスコ、バルトロ、2人のいとことともにアルベリーコ・ダ・バルビアーノの傭兵団に加わり、アルベリーコから「スフォルツァ(強き者)」とあだ名された。
1398年には、ペルージャに雇われてジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティのミラノ軍と戦ったが、当時の傭兵隊長らしく、まもなくヴィスコンティに仕えた。のちにはフィレンツェのためにヴィスコンティと戦い、1402年のカザレッキオの戦いで、かつての主人アルベリーコ・ダ・バルビアーノに敗れた。1409年までには、パルマのオットボーノ・テルツィに脅かされていたフェッラーラのニッコロ3世・デステに雇われていた。やがてナポリ王ラディズラーオに、王国の大元帥に任じられた。スフォルツァの軍事的な力量は、フィレンツェや教皇との戦いで特に必要とされた。1414年に王が死ぬと、女王ジョヴァンナ2世に仕え、生涯ナポリ王国にとどまった。
しかし女王の寵臣パンドルフェッロ・アロポの嫉妬を買って逮捕、投獄された。スフォルツァの軍が動くとアロポは彼を釈放し、女王は彼にベネヴェントとマンフレドニアの領地を与えた。このとき彼は、アロポの妹カテリーナと結婚した。数か月後、ブルボン家のジャックと争って再び逮捕され、1416年にジャックが失脚して初めて自由の身となり、女王は大元帥の位を返した。1417年には、女王の命を受け、息子フランチェスコとともに、教皇を助けてブラッチョ・ダ・モントーネと戦った。ナポリに戻ったが、女王の新しい愛人ジョヴァンニ(セルジャンニ)・カラッチョロに反対された。その後の混乱のなか、アンジュー公ルイ3世がアラゴン王アルフォンソ5世に対抗してナポリに入ると、スフォルツァは女王とセルジャンニがアヴェルサへ逃れるのを助けた。
1423年、ラクイラの町がブラッチョ・ダ・モントーネに反乱を起こし、スフォルツァはこれを支援するため送られた。ペスカーラ川を渡るとき、小姓の1人を助けようとして溺れ、遺体は流れに押し流された。5度の結婚で、確認されているだけで16人の子がいた。1401年に生まれたフランチェスコは、のちに1450年にミラノ公となった。ほかにも、ミラノ大司教となったカルロ(1423年生まれ)や、ペーザロの領主となったグレゴリオ(のちにアレッサンドロと改名)などがいる。
同じ年に亡くなった人物
- アブドゥルカリーム・ジーリー (1424年没)
- ジャンヌ2世 (オーヴェルニュ女伯) (1424年没)
- 後亀山天皇 (1424年没)
- エルンスト (オーストリア公) (1424年没)
- 永楽帝 (1424年没)
同じ地域に関係する人物
- ヨハンネス・ベッサリオン (1472年没)
- ホノリウス (423年没)
- ペトルス・ダミアニ (1072年没)
- コンスタンティヌス3世 (411年没)
- オドアケル (493年没)