伝記
エレウテルスは、ローマ教皇である。在位は175年から189年とされ、174年ごろから189年に没するまでとする資料もある。在位を171年から185年、または177年から193年とする説もある。没日は5月24日と伝えられ、カトリック教会では聖人として崇敬され、記念日は5月26日である。伝統的に殉教者であったとされてきたが、確かな裏づけがあるわけではない。
出身について、教皇の列伝である『教皇列伝』は、ギリシアのエピルス地方にあるニコポリスの生まれのギリシア人とする。同時代のヘゲシッポスは、彼がアニケトゥス教皇の時代(154年ごろから164年ごろ)にローマ教会の助祭を務め、続くソテル教皇のもとでも助祭であり続け、174年ごろにその後を継いだと記した。確実に知られる生涯の事実はこの程度で、教皇としての事績として語られる話は、後世に付け加えられた記述に基づくものである。
その一つが食物に関する規定である。6世紀に改訂された『教皇列伝』のフェリクス版と呼ばれる系統には、エレウテルスが、信仰の強いキリスト教徒はどのような食物も、それが道理にかない食べられるものである限り、神が創ったものとして退けてはならないと、あらためて確認したという記述がある。これは、初期に残っていたユダヤ教の食物規定や、グノーシス派、モンタノス派の同様の規定に対抗するものだった可能性があるが、500年ごろに出された同種の決定に権威を与えるために、編者が彼の名を借りた可能性もある。
もう一つは、ブリトン人の王ルキウスからの手紙の伝承である。これも後に付け加えられた記述で、王がキリスト教に改宗する意思を表明した手紙を、エレウテルスが受け取ったというものだ。史実の裏づけはないとされる。この記述は5世紀半ばの教皇レオ1世の書記プロスペルの時代に書かれたとする説、530年ごろのボニファティウス2世の時代とする説、7世紀初めとする説に分かれる。ブリテン島の伝承では、最初にこの話に触れたイングランド人はベーダで、彼は土地の伝承ではなく『教皇列伝』から取ったらしい。9世紀の『ブリトン人の歴史』は、ローマから派遣された使節が「ブリタニアの王ルキウスとすべての小王たち」に洗礼を授けたと述べるが、その洗礼を167年とし、エウァリストゥスの功に帰している。12世紀にはさらに詳しくなり、モンマスのジェフリーは教皇の使者の名をファガンとドゥウィアンとし、『ランダフ書』はルキウスの宮廷を南ウェールズに置き、その使者をエルファンとメドウィとした。スイスのクールで語られ、8世紀か9世紀の写本に残る説教にも、この伝説の響きが及んでいる。そこでは使徒ティモテウスがブリテンで王ルキウスに洗礼を授け、ルキウスはガリアでも宣教して最後にクールに落ち着いたとされ、こうして初期の宣教者ルキウスと、『教皇列伝』に現れるブリテン王が同一視された。
この伝承を後世の意図と結びつける見方もある。7世紀初めの説だけが、カンタベリーのアウグスティヌスらによるアングロ・サクソン人への宣教を支える目的だったという推測に合う。ケルト系のキリスト教徒は教会の古さを主張して、カンタベリーへの服従を長く退けたが、ウェールズとサクソンの司教たちの会議で、ルキウスへの宣教を論拠にした形跡は双方にないという。
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