伝記
ドナルド3世は、1033年ごろに生まれたスコットランド王ダンカン1世の次男で、マルカム3世の弟である。肌の白さにちなみ、ドナルド・ベインとも呼ばれた。幼少期の1040年、父がマクベスに殺されると国外へ逃れた。その避難先はヘブリディーズ諸島とも、アイルランドともいわれる。兄マルカムはイングランドへ渡り、成長後にマクベスを倒して王となった。兄の治世にドナルドが何をしていたかは、ほとんど分かっていない。イングランドに親しみ、王国の中部と南部を重んじる兄の政治に対して、ドナルドは北部や西部の有力者の支持を得ていた。
1093年11月、兄マルカム3世と、その王妃マーガレットとの間の子エドワードが、ノーサンブリアへの遠征で相次いで命を落とした。まもなく王妃も死去した。エドワードを後継者とする兄の構想があったとすれば、この遠征で実現しなくなったことになる。ドナルドは甥たちを差し置いて王位に就いた。大勢の兵を率い、マーガレットの息子たちがいたエディンバラを包囲したともいわれる。王妃の兄エドガー・アシリングは、甥たちを安全のためイングランドへ逃したとされる。新王は宮廷からイングランド人を追い払い、その様式や慣習をケルト式へ戻した。だが最初の在位は長く続かなかった。1094年5月、マルカムと最初の妻の子ダンカンが、イングランド王ウィリアム2世の支援を受けて侵攻した。アングロ・ノルマン人とノーサンブリア人の軍を率い、異母弟エドマンドらの助けも得たダンカンは、ドナルドを退けて王位を奪った。
ダンカン2世の即位後、外国から来た軍隊に反発する蜂起が起こり、新王は味方の兵を送り返さざるを得なかった。1094年11月12日、ダンカンはミーンズの有力者マエル・ペタイルに殺された。ドナルドとエドマンドがその殺害を命じたとも伝えられる。これによってドナルドは再び王となり、かつてダンカンを助けたエドマンドと統治を分かち合った。エドマンドは王国の半分を得る約束を取り付けたとされ、支配地を与えられた可能性がある。ドナルドには息子がいたことが確かめられておらず、すでに老齢であったため、エドマンドを後継者に定めていたとも考えられている。一方、マーガレットの子で生き残っていたエドガーも王位を求め、ウィリアム2世の援助を取り付けた。
1097年、エドガー・アシリングが率いるイングランドの軍隊を伴ってエドガーが進軍すると、ドナルドとエドマンドは敗れた。ドナルドは二度目の廃位に遭い、捕らえられて視力を奪われたとされる。追放されたとも、終身の拘禁を命じられたとも伝わる。拘禁先はアンガスのフォーファーに近いレスコビーとされ、1099年に死去した。最初に葬られた場所はダンファームリン修道院ともダンケルド大聖堂ともいわれるが、遺骨は後にアイオナへ移された。娘ベソックはティンダル領主ユートレッドと結婚し、その娘ヘクスティルダはリチャード・カミンの妻となった。後世、王位を請求したジョン・カミンは、この女性たちを通じてドナルドにつながる血統を根拠とした。シェイクスピアの戯曲『マクベス』に登場するドナルベインは、このドナルド3世をもとにした役である。
同じ年に亡くなった人物
- ウルバヌス2世 (ローマ教皇) (1099年没)
- エル・シッド (1099年没)
- Tatikios (1099年没)
- ペトルス・バルトロメオ (1099年没)
同じ地域に関係する人物
- ジョン・ボイド・オア (1971年没)
- マルカム2世 (スコットランド王) (1034年没)
- ジェームズ・カーネギー (第3代ファイフ公爵) (2015年没)
- クロード・ボーズ=ライアン (第14代ストラスモア=キングホーン伯爵) (1944年没)