伝記
アルペトラギウスは、ビトルージーとも呼ばれ、生年不明で1204年ごろに没した、中世イスラム世界の天文学者、哲学者、裁判官である。正式にはヌール・アッディーン・イブン・イスハーク・アルビトルージーといい、アルペトラギウスはそのラテン語名である。生まれた場所には異論がある。現在のモロッコで生まれたとする説と、コルドバ近くのペドロチェなど、アンダルスの生まれだとする説があり、モロッコに生まれたのちセビリャに住んだとする見方もある。アンダルシアに住んだことは分かっている。
おそらくイブン・トファイルの弟子で、イブン・ルシュドと同時代の学者である。イブン・トファイルが1185年か1186年に没しているため、アルペトラギウスはそれよりかなり前に生まれていたことになる。知られている唯一の著作は『天文学の書』で、プトレマイオスの宇宙体系を否定する惑星運動の理論を述べている。書かれた時期ははっきりしないが、イブン・トファイルの死後で、1192年にはこの本から着想を得たらしい著作が現れ、1217年にはラテン語に訳された。そのため、1185年から1192年のあいだに書かれた可能性が高いとされる。
この理論は、主にプトレマイオス理論への自然学的な疑いに基づくもので、観測事実に基づく部分は小さく、精度ではむしろ劣る。アリストテレスやエウドクソスと同じく、一種の同心球体説で、地球を中心とした透明な天球に天体がはりつき、その天球が一定の速度で回転する。しかしいくつもの重要な点で、これらの先人と異なる。天球の回転軸の動きは、ザルカーリーの恒星の理論に近い。プトレマイオスとは違う体系を示した最初の天文学者であり、天体の動きに物理的な原因を求めた最初の人ともされる。インペトゥスの考えと、アブル・バラカート・アル・バグダーディーの「欲求」の概念を組み合わせて、第一の動者のエネルギーが他の天球に伝わると説き、月の下の世界と天上の世界に同じ力学を当てはめた。金星と水星は月のように満ち欠けしないので、固有の光を持つと考えた。この書は、プトレマイオスの『アルマゲスト』を土台に、物理の面からの批判を加えている。
『天文学の書』は、1217年にミカエル・スコットがトレドでラテン語に訳し、1259年にモーシェ・イブン・ティッボンがヘブライ語に訳した。13世紀前半には広い関心を集め、ロジャー・ベーコンなどは好意的だった。しかし大勢は観測との食い違いなどから、プトレマイオス理論の受け入れに傾いた。その後も、ときおり同心球体説への関心は呼び覚まされた。レギオモンタヌスは批判しながらも影響を受け、コペルニクスの『天球の回転』第1巻10章には、惑星の配列の順序が引用されている。1529年にはカロ・カロニムス・ベン・ダヴィドによる新しいラテン語訳が作られ、2年後に出版された。ティコ・ブラーエのウラニボリの仕事場には、プトレマイオスやコペルニクスらと並んで、アルペトラギウスの肖像画が飾られた。ユダ・ベン・サロモン・ハ・コーヘンは、この天文学を自分の百科事典に取り入れ、同時代のヘブライ語の著者たちは彼を、天の教義を揺るがす者と呼んだ。月のクレーターに、その名がつけられている。
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