伝記
マゴは、カルタゴの著述家であり農学者である。生没年は分かっておらず、紀元前150年ごろの人物とされる。軍の将軍としての教育を受けたともいわれる。ポエニ語で農業の大著を書き、それはカルタゴの農業知識の記録として、数世紀にわたりこの分野の最も重要な典拠の一つとなった。
その著作は28巻に分かれていた。土地のベルベル人とポエニ人の伝統的な慣行を取り入れており、総論的な助言から始まった。カルタゴは地中海中部の穀倉であり、農業や獣医の知識が豊富に蓄積されていたのである。この著作は国家が奨励したカルタゴ農業の著しい発展に寄与し、抜粋が農場の壁に掲げられたとも伝えられる。
紀元前146年にローマがカルタゴを破壊した後、カルタゴの図書館はヌミディアの王たちに与えられた。そのなかでマゴの書だけは特別に取り出され、ローマに運ばれた。元老院の命により、ローマが持ち帰った唯一の書物だったともいう。デキムス・ユニウス・シラヌスがこれをラテン語に全訳し、費用はローマ元老院が負担した。ギリシア語には、ウティカのカッシウス・ディオニュシオスが翻案した。この翻案は20巻に要約されたとされる。のちにニカイアのディオパネスが、さらにそれを6巻に縮約した。
ポエニ語の原典は失われ、初期の翻訳も残っていない。現在知られるのは、ウァロ、コルメラ、大プリニウス、ガルギリウス・マルティアリスなどローマの農学者たちが引用した抜粋と、ギリシア語の農書集『ゲオポニカ』を通じてである。彼らはいずれもマゴを深く敬った。伝わる断片には、農場を買うなら町の家を売れという助言、最も実りの多いぶどう園は北向きだという記述がある。ほかにぶどうやオリーブ、果樹の植え方、ぶどうの剪定、湿地の植物の刈り取り、穀物や豆の粉挽きの準備、雄牛の選び方、牛の健康、家畜についての覚え書きがある。さらにラバが時にアフリカで子を産むこと、雄牛の死体からミツバチを得る方法、養蜂家は雄バチを殺してはならないこと、ざくろの保存法、最上のパッスム(干しぶどう酒)の作り方も含まれる。
大プリニウスが伝える例では、マゴは木の実のなる木を詳しく論じた。アーモンドは南向きの柔らかい粘土質の土に植え、若い木から摘んだ鎌の形に近い実を選び、尖った側を北東に向けて植える。三粒ずつ手のひらの幅の間隔で三角形に置き、十日ごとに水をやるという。穀物については、小麦を先に水に浸して殻を除き、日なたで乾かしてから臼で細かく搗くよう勧めた。大麦も同様に扱い、20単位に2単位の水で湿らせるとした。そのほか果樹栽培、ぶどう栽培と酒造り、養蜂、牧畜、イグサ、月桂樹やアスフォデルのような栽培されない有用植物も論じた。彼の名は、現代チュニジアのモルナグ産のワインの名にも用いられている。
同じ年に亡くなった人物
- マルクス・オクタウィウス (紀元前150)
- イェシュア・ベン・シラ (紀元前150)
- ガイウス・セクスティウス・カルウィヌス (紀元前 150年(推定))
- アポロドーロス (紀元前150)
- グナエウス・コルネリウス・レントゥルス (紀元前146年の執政官) (紀元前 150年(推定))
同じ地域に関係する人物
- 大テオドシウス (376年没)
- ハンニバル・ギスコ (紀元前258年没)
- モハメド・ブアジジ (2011年没)
- キプリアヌス (258年没)
- アブー・ザカリーヤー1世 (1249年没)