伝記
アンティオキアのセラピオンは、191年から211年までアンティオキアの総主教(司教)を務めた人物である。アンティオキアの第8代の司教とされ、在任期間はおおよそ皇帝セプティミウス・セウェルスの治世と重なる。カトリック教会と東方教会の双方で聖人とされ、祝日は10月30日である。当時を代表する神学者の一人とみなされたが、著作はごくわずかな断片を除いて失われている。
セラピオンの著作について知るうえで頼りになるのは、カエサレアのエウセビオスの教会史である。エウセビオスは三つの著作に言及しつつ、ほかにもあっただろうと認めている。一つはカリコスとポンティオスに宛てた私信で、モンタノス派を批判したものである。エウセビオスはその一節を引用しており、この手紙にはアジアやトラキアの司教たちの署名も添えられて回覧されたことが分かる。手紙は、いわゆる新しい預言が世界中のキリスト教世界で忌み嫌われていると述べている。署名の中には、「殉教者アウレリウス・キリニウス」や、トラキアの植民市デベルトスの司教エリウス・プブリウス・ユリウスのものがあったという。
二つ目は、ドムニノスという人物に宛てた書である。ドムニノスは迫害のときにキリストへの信仰から離れ、ユダヤ教的な自己流の礼拝に移ってしまった者だった。三つ目は、仮現説的な『ペトロの福音書』について書いた小冊子で、シリアのロッソスの教会の信徒に向けられている。セラピオンはかつてロッソスを訪れた際、人々が正しい信仰を保っていると思い、この福音書を読むことを許したが、のちにその中に異端の考えが隠れていると知ったと述べる。そのうえで、ペトロや他の使徒をキリストのように受け入れる一方、その名を偽った書物は退けると書き、再び訪れて信仰を固めるつもりだと伝えた。この福音書を伝える人々を仮現説者と呼び、大部分は救い主の正しい教えに合うが、違う点もあったとも記している。エウセビオスは、ほかにもペトロの福音書をめぐってポンティオスらに宛てた私信があったことにも触れている。
セラピオンは、オスロエネにおけるグノーシス主義の影響にも対処した。パンタイノスの支持を得て、マリをエデッサの司教に叙階したともいわれる。エデッサでは、聖職者バルダイサンが共同体にグノーシス的な傾向を持ち込みつつあり、マリがそれに向き合ったとされる。セラピオンはパンタイノスをエデッサの司祭または司教に叙階したとも伝えられる。セラピオンの後を継いでアンティオキアの司教となったのは、アスクレピアデスである。
同じ年に亡くなった人物
- Narcissus of Jerusalem (211年没)
- セプティミウス・セウェルス (211年没)
- Marcus I of Byzantium (211年没)
- プブリウス・セプティミウス・ゲタ (211年没)
- 周瑜 (211年没)
同じ地域に関係する人物
- アレクサンドロス2世ザビナス (紀元前123年没)
- フロリス3世 (ホラント伯) (1190年没)
- ヤーギー・スィヤーン (1098年没)
- アンティゴノス (ハスモン朝) (紀元前37年没)
- イブン・ブトラーン (1066年没)